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2010年5月 3日 (月)

私の「少年時代の鉄道」のショートトリップ

今年の連休は天候に恵まれて、特に今日は多くの場所で夏日を記録した絶好の行楽日和となりました。私は特に出かける予定は無く、たまっている工作をまとめてこなす絶好の機会!のはずでした。

しかし折悪しく、住んでいるマンションの階下の管理事務所で大規模な改装工事が入っており、事務所が休みの間に突貫で仕上げるためなのか、ずっと作業音がガリガリうるさくて集中できません。
妻も仕事で出かけているので、一人自宅でムカムカしていても仕方ありません。天気も良い事なので、気持ちを入れ替えにカメラバッグを携えて電車に乗ってショートトリップすることにしました。

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出かけたのは、三重県四日市市の近鉄八王子線です。
全国でも珍しい、軌間762mmのナローゲージを採用する路線です。近鉄四日市駅から内部線の分岐点の日永駅まで1.8km、日永から終点の西日野駅まで僅か1.3kmのミニ路線です。こんな軽便鉄道線が現代まで残っていることも貴重で訪問に値しますが、今日訪れたのには別の理由があります。

銀行員だった父親の転勤によって、小学1年生の終わりから5年生の途中まで、四日市に住んでいたことがあります。銀行の社宅が、この線の終点の西日野駅の近くにあったので、少年時代の非常に思い出深い土地なのです。引っ越した当初の昭和50年には、前年の水害で廃線となった西日野-伊勢八王子間の線路が撤去されておらず、線路を辿って遊んだ思い出があります。その跡を思い出しながら辿るという趣向です。
今迄に車では何度か訪れたことがありますが、電車に乗っていくのは非常に久し振りです。
引越しが多かったために、私にはふるさとと思える土地がありません。
でも、鉄道趣味の原点のひとつは今回訪れる廃線場所にもあります。

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近鉄名古屋駅から特急に乗れば30分足らずで近鉄四日市駅に到着します。
近鉄四日市駅は高架駅で、標準軌の名古屋線と湯ノ山線は高架ホームから発着しますが、ナローゲージの内部線、八王子線は高架下のホームから発着します。一旦、改札を出てから再び専用ホームの改札を抜けなければなりません。切符は名古屋から通しで買っても大丈夫で、四日市駅の自動改札を抜けても、特定の改札ならば切符は回収されません。

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ホームに出ると、明らかに狭い軌間に不釣合いな太いレールの上に、30年前当時から「マッチ箱のような電車」と形容されていた可愛い電車です。昔はリベットだらけの車体で手動ドアでしたが、現在はもちろん自動ドアです。ただ、当時と異なり車掌は乗っておらず、3両編成ながらワンマン運転です。おまけに非冷房なので、これからの季節は辛いでしょう。

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四日市を出ると、程なく最初の駅の赤堀に停まり、再び走ったかと思うとすぐに内部線と八王子線の分岐点の日永駅に停車します。内部からやってきた交換の電車が停まっています。
分岐駅なので、昔は当然駅員がいましたが、今は無人駅化していました。

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日永を出ると、直線部分を少し飛ばして間もなく終点の西日野です。ナローゲージ特有の横揺れがあるので、スピードは出せません。四日市から僅か3.1km、10分少々の乗車時間です。

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素っ気無い切妻車体ながら、遊園地の豆電車のような佇まいがあります。でも、観光鉄道ではなく、シティコミューターとしての存在意義を持っているのです。
30年前とまるで変わっていない西日野駅。時が逆流したかのような不思議な気分です。昔は休日も電車が混んでいたのですが、今日はガラガラです。

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西日野駅の駅前は、自転車置き場となっています。この自転車置き場の中央部分の白線の間を、昭和49年に廃線になった八王子線の線路があったのです。私が引っ越してきた頃は既に電車は走っていませんでしたが、線路だけは残されていたのでよく覚えています。

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駅前の自転車置き場を抜けると、片側1車線の道路に出ます。この道路を踏切で越えて右に曲がり、路線は続いていました。その跡を歩いてみたいと思います。

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道路の左側は川になっています。この川の河川敷を、ナローゲージの路線が続いていました。
そして、道路と線路の間の柵などほとんど無く、電車の来ない線路は子供の格好の遊び場でした。ナローゲージの線路は子供が跨ぐのにも最適です。川のほとりの枕木の上を歩いてどこまでも行く冒険気分を味わえました。規模は小さいですが、まさに私のスタンドバイミーです。

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これが八王子線の末端部分を廃線に追い込んだ天白川、通称笹川です。八王子線は、川の右側の道路の左端にありました。線路があったのはまさに河川敷で、水面はすぐ側にありました。
しかし、深く浚渫された上にコンクリートで3面張りされていて、昔の長閑な川縁を想像することはできません。かつては川原に簡単に下りられて、魚捕りをしたものです。繁みには蛇やカエルもたくさんいましたが、今では見る影もありません。

それにしても、汚い川です。臭いこそありませんが、今ではとても魚遊びなどできません。
ただ、通っていた小学校の校歌の歌詞の3番に「~星の流れる笹川の~」というフレーズがありましたが、ふざけて「~ゴミの流れる笹川の~」と替え歌にしていた覚えがあるので、当時も生活排水がかなり流れ込んでいて汚かったのかもしれません。

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線路跡の川の隣の道路を右に外れて路地に入ります。どんどん坂を上っていくと、子供の頃遊んで叱られた火の見櫓がそのまま残されていました。思ったよりもずっと小さく、模型で再現したいサイズです。

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火の見櫓の隣を抜けると、丘の上に小学校があります。3年間ほど通った思い出の四郷(よごう)小学校です。明治9年に創立された歴史のある学校で、私が通っていた昭和51年に100周年を迎えました。全児童が「ヨゴウ100」と人文字を書いたのをヘリコプターで撮影した写真がアルバムに残っています。校門近くの記念碑に、100年後に開けるタイムカプセルを埋めた記憶があります。

しかし、場所は当時のままながら、立派だった講堂も、ズラリと並んだ木造校舎も無く、建物の配置がまるで変わっていて、何の変哲も無いありふれた小学校になっています。しかも、休日なのでとても静かです。日差しが強く、丘を登って暑くなって来ました。上着を持て余します。

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小学校の丘を下りて川沿いの道に戻って先に進みます。
西日野から伊勢八王子の間には室山という中間駅がありました。今では面影もありませんが、閉店したたばこ屋がその場所を伝えています。電車が走っていた当時は、駅前商店として活躍したのでしょう。

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室山駅跡の周辺には、古い貴重な産業文化財があります。これはトーヨーニットの旧工場です。典型的なノコギリ屋根の工場で、小学校からも程近いので社会見学に訪れたものです。

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これは明治36年に建造された亀山製糸室町工場です。
今では閉鎖されていますが、優雅な明治時代の洋館の佇まいをよく残しています。30年前にはまだ操業しており、カイコを煮る独特の臭いが周囲に漂っていました。

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明治の貴重な建造物なのですが、閉鎖されて久しいのか痛みが激しいようです。遠くからしか眺められないのですが、それでも屋根瓦が波打っているのがわかります。早く文化財指定して保存しないと、貴重な産業遺産が崩壊してしまいそうです。

これらの工場のほかにも、室町周辺には古い酒蔵が数件残っています。これらの物資を運ぶ意味合いから、八王子線の敷設の意義があったようです。

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産業遺産の宝庫の室町を後にして更に進むと、いよいよ終点の伊勢八王子駅跡が見えてきます。三叉路になって川から右に離れていく方に道路を踏切で渡って線路が続いていました。
小学一年生当時は、西日野から八王子まで線路を辿っていくのは大冒険でしたが、実際には1.5km程度しかないので、あれこれ寄り道しててもすぐに着いてしまう距離です。

今となっては僅かな距離ですが、このあたりになると人家も少なくなり、隣の笹川もかなりきれいで、カジカなどを捕まえた思い出があります。今では残念ながら、ドブ川です。

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三叉路の右側が駅のあった場所のはずですが、やれやれ、思い出の冒険の到達地点はゲージで囲まれたゴミ箱になっていました。駅の奥の方は私有地になっています。
それでも、何となく駅があったことを想像できるような地形があるだけでも良いのかも知れません。

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振り返って、西日野側に歩き出すことにします。この写真の右側にホームがあったはずです。

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今では、近鉄の傍系の三交バスに乗れば、近鉄四日市駅経由でJR四日市駅に直通します。当然、西日野も経由します。
ならばナローの八王子線など要らないのではないか、と思えるのですが、四日市も他の地方都市と同様、朝はかなり渋滞します。小さな電車でも、10分で確実に四日市駅に到着してくれることには意義があるのでしょう。

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色とりどりの車両が緑に映えます。模型のような光景です。
この電車に乗って帰路につきたいと思います。

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来た時と同じ車両がやってきました。
この路線は30分に1本なので、同じ車両が一日中往復しているのでしょう。

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想像以上に狭い車内です。先頭車と最後尾は一人掛けのバスのような一方方向に固定されたクロスシートが並びます。

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中間車両はロングシートです。
シートとシートの間が狭い!通路に人が立つのがやっとといった幅です。

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運転台は、左に寄っておらず、中央に位置しています。マスコンとブレーキの制御機は一人前の形状です。

走行音のmp3ファイルをアップします。

「soukou-on.mp3」をダウンロード

昔懐かしい、ブルブル震えるような吊り掛け制御のモーター音が響きます。
赤堀を出て、四日市に向かう際の走行音です。ワンマン列車なので、テープでの案内音声が聞こえます。

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切符は近鉄名古屋駅まで通しで買ってあるのですが、乗り換えの近鉄四日市駅で改札を出て途中下車できます。ちょっと遅めの昼メシを取るために、駅の外に出ました。
駅前商店街を行くと、「一楽」という中華料理屋さんがあります。ここで四日市名物「とんてき」を食べると言う算段です。

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とんてきとは、いわゆるポークソテーですが、昔は四日市の名物などではありませんでした。10年ほど前から話題になり、今では市内の多くの店で看板メニューとなっています。

とんてきの本家本元の店は近鉄湯ノ山線の松本駅の近くにあり、何度か食べに行った事はありますが、その店は混んでいるし、私はとんてきという料理にものすごく情熱を感じているわけではないので、駅前で手軽に味わいます。この「一楽」では、お手軽価格でソコソコの味が味わえます。

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大量のとんてきとライス、スープで1050円。
ニンニクがゴロゴロ入っています。全部食べたら、帰りの隣客が眉をしかめるかもしれません。
昼間なので自重して、ビールを頼まないことを後悔しました。この濃い目の味付けは、生ビールとピッタリです。今度、ビールと共にとんてきを食べることを目的に再訪したいものです。電車で来れば、飲酒しても問題ありません。

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帰りも特急電車で名古屋に向かいます。
名古屋から西日野まで運賃が630円、特急券が500円。往復で2260円のショートトリップでした。
休みなのに環境が悪くて工作する気になれない時は、ぶらりと一人出掛けるのも楽しいものです。但し、思い出の場所に行くのは懐かしいのですが、時間の経過の早さと人生の儚さを感じるので、少々覚悟が必要です。

私の個人的な「少年時代の鉄道」の思い出でした。長文、失礼しました。

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コメント

こんばんわ!休日の小旅行のレポートお疲れ様でした。四日市は20数年前に最初の就職先の研修で富士電機の工場に一週間程泊まり込みで行った覚えがありますが、ほとんど記憶に無いのでそんな可愛らしい電車があるとは知りませんでした。失礼ながら埼玉の鉄道博物館にある感じの車輌だなと思い、微笑ましくなりました。私の育った会津若松は機関区があって、扇型の機関庫や転車台などがあり、それなりの鉄道の街だった様ですがその当時はたまに写真を撮る程度だったので今となっては勿体ない気もします。機会があったら見に行きたいものです。

投稿: 三日月 | 2010年5月 4日 (火) 01時07分

私の少年時代の原風景は伊勢電気鉄道(伊勢電)です。
URLの徳和駅は実家から学校までの途中にあります。
今は廃線跡には大きな道路が走っていますが当時は何もなくその上で遊んだ記憶があります。
両親が亡くなってから実家へは足が遠のいていますがこのレポートを読んでいたら松阪に帰りたくなってしまいました。

投稿: カズキ | 2010年5月 4日 (火) 05時24分

センティメンタル・ジャーニーよかったですね。私の場合、少年時代戦前にまでさかのぼりますので、まったくの浦島太郎になりそうです。もっとも玉手箱などもらってもいないのに、おじいさんになりましたが。

投稿: honest | 2010年5月 4日 (火) 08時59分

PS まったく偶然ですが、きのう天草で鯛やヒラメを頂きました。
安くておいしいです。

投稿: honest | 2010年5月 4日 (火) 09時03分

>三日月さん、こんにちは。

言われるとおり、ナロー車両は鉄道博物館のミニ電車の佇まいです。それが観光鉄道ではなく、地元の足として根付いているコントラストがたまりません。

父の転勤のためにあちこち引っ越したのですが、あかり幼少の頃だと記憶が不鮮明ですし、成長してしまってからだと感性が大人に近くなっているので、ちょうど少年時代の思い出が懐かしく思えてくるのかもしれません。

会津若松少年時代散歩、出来るといいですね。


>カズキさん、こんにちは。

リンク先のページの詳細なレポートにびっくりです!廃線跡以外のレポートも素晴らしくて、しばらく見入ってしまいました。

目的を持った探訪、楽しそうです。

私は、これだけあからさまな田舎に住んでいたのは四日市の3年間ほどだけだったので、一層思い出深いものがあります。それに、川や小学校が大きく変わっていても、あまり30年間の時を感じさせないタイムトリップのような気分も味わえました。


>honestさん、こんにちは。

私も、一人前に少年時代を回顧する歳になってきました。
四日市の前は京都に住んでいました。よく電車に乗った京阪の御陵駅周辺はあまりに変化が激しくて、幼少の頃の景色が思い出せないほどになってしまっています。

天草の鯛やヒラメ、羨ましい限りです。
今日も階下の工事がうるさいので、自宅を脱出して妻の実家に非難、ついでに食事会です。

投稿: YUJI | 2010年5月 4日 (火) 10時01分

YUJIさん、こんにちは。
ナローゲージのリポート、楽しく読ませていただきました。
私は東京勤めですが、昨年、出張で四日市に出かける機会があり、仕事の合間に(本当に合間だったのかは触れないで…)軌間762ミリというのがどんなものか見てみたくて内部線に乗ってきたので、それを思い出して懐かく拝見しました。

その時は、「紫・青・橙」の編成と、「青・黄緑・緑」の編成と、「橙・橙・黄色(ラッピング広告付)」の編成と、3編成で回していたような記憶があります。
本当にバス程度の車幅で、踏切を渡ったときに線路を両足で軽くまたげるのが面白かったです。

その時はついでに、四日市の港の方に大阪万博のオーストラリア館が移築されているのも見ました。子供の頃見たのより小さく感じました。

投稿: まっぴい | 2010年5月 4日 (火) 18時46分

書き忘れたので連投失礼します。

トンテキも食べました。店は違うようですが美味しかったです。
スーパーで「コーミ」のトンテキソースを買ってきて、時々家でも作って食べています。

投稿: まっぴい | 2010年5月 4日 (火) 18時51分

古い電車ってなんだか可愛らしいというか愛嬌が感じられます。
小さかったり、カラフルだったり…

今日、名鉄の谷汲駅を見てきました。
廃線になっても駅舎と車両が保存されていて、
若輩者の私は初めてみる名鉄の車両に出会えました。

母に写真を見せたら懐かしいと大はしゃぎ、
GWに前倒しした母の日のお祝いより喜ばれる始末でした。

投稿: erara | 2010年5月 4日 (火) 21時03分

ナローゲージ、昔、瀬戸内海の本島に渡るとき、岡山から下津ヰ港に行く時、下津ヰ鉄道を利用しましたが、あれがナローゲージでしょうか。可愛い電車忘れられません。 今は塩飽水軍の本拠の本島、橋からみはなされていますね。 岡山県でなく、香川県ですね。

投稿: honest | 2010年5月 4日 (火) 21時05分

YUJIさんこんばんは
小旅行レポート、および皆さまのコメント楽しく拝見させて
頂きました。皆様の少年時代は、現在進行形のジオラマに近い
環境風景の中で過ごされていたと思うとすごく羨ましい限りです。
私は、生まれてから、今の場所(京阪電車本線沿線の割と都会)
でずっと育ちましたから、田舎の風景と言えば、小学4.5年生
ぐらいまでよく遊びに行った母の実家の宝塚近郊の田園風景しか
記憶にありません。阪急電車は、当然電化路線でしたが福知山線ではまだSLが時々走ってました。乗った記憶もかすかにあります。
また京阪本線でも、小学生時代は、天満橋ー三条間の運転でしたし、現在地下化されている七条から北も鴨川沿いの路面を走っていました。
こう考えると、時代の移り変わりを感じます。
やはり、少年時代を回顧できる年齢になったと感じますネ。

投稿: マーボウ | 2010年5月 4日 (火) 22時43分

>まっぴいさん、こんばんは。

出張に訪れたところで仕事に差しさわりの無い程度で息抜きをするのは、その人の持つ教養と感性に寄ると思います。私も息抜きのために必死で出先の仕事をやっつけてしまう方ですが、お堅い方には面白くなく見えるようです。最近は雑音が気にならなくなりましたが・・・。

内部・八王子線の車両編成の解説、ありがとうございます。確かに、ラッピング広告付きの車両も内部方面の車両で見かけました。

オーストラリア館、30年前にもしっかり鎮座していました。万博のための臨時の施設がこんなに生きながらえるなんて、当時は考えも及ばなかったと思います。


>eraraさん、はじめまして。コメント有難うございます。

ブログの紀行記、楽しませていただきました。
谷汲線の車両と施設、そして温泉とは最高の取り合わせですね。私も近隣に住んでいるので、いつか訪れたいと思います。

今後もよろしくお願いします。


>honestさん、こんばんは。

そういえば下津井電鉄(下津ヰと書くのですね。弁kyロウになりました)もナローゲージでしたね。最後は離れ猿のような路線になってしまって訪れる機会がありませんでしたが、あちらは同じナローでも絶景が見られたかと思います。

投稿: YUJI | 2010年5月 4日 (火) 22時52分

マーボウさん、こんばんは。

これからも、暇を見つけて近隣のショートトリップも楽しみたいと思った次第です。

今回の鉄道模型少年時代の光景は、里山の田舎の夏祭りの時代が舞台なので、私もつい四日市の田舎で過ごした少年時代を思い出しながら作業を進めてしまいます。

四日市よりも昔の鉄道の記憶としては、京阪電鉄の御陵駅付近と、山科駅付近の踏切で飽きずに眺めた北陸線特急が走る抜ける光景です。確かに京阪は地下化されて全く異なる光景となってしまいました。

仰るとおり、立派に少年時代を回顧する年代になったかと思います。

投稿: YUJI | 2010年5月 4日 (火) 23時03分

よっぱらて、 sentimental journey を口ずさんでいたら、long to hear that all aboad のフレーズがありました。発車オーライの意味ですね。アメリカでも大事な旅はカーではなく鉄道ですね。

投稿: honest | 2010年5月 7日 (金) 22時03分

PS ですね・・・でしたね。

投稿: honest | 2010年5月 7日 (金) 22時11分

honestさん、こんばんは。

広大な大陸を走るアメリカの列車とは対照的なミニ列車ながら、発車オーライの際のワクワク感は同じですね。我々なら鉄道唱歌か線路は続くよ、あるいはいい日旅立ち等を口ずさんでしまうのですが・・・。

投稿: YUJI | 2010年5月 7日 (金) 22時13分

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