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2016年12月

2016年12月18日 (日)

軍艦島上陸ツアーに参加

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昨日、長崎県の軍艦島(正式名称端島)に行ってきました。先週の九州の福岡と長崎への旅行での一つのハイライトとしていました。

長らくブログ記事の投稿をサボっていました。8月の終わりに愛知県の岡崎市から半田市に引越し、しばらく片付かない生活が続いていました。古い家具を処分してきてしまったために、それらが揃うまでは趣味ごとも楽しめず、日常生活でも面倒なことが多くて余裕がありませんでした。面倒な人との付き合い、特になんとも失礼で腹立たしい人々にも謙虚、にこやかに対応しなければならない生活に少々疲れてはいました。こんな時はリフレッシュのために、旅に出るに限ります。

漸く夫婦揃って久々に旅行に出るくらいの気持ちになってきたのは11月も終わりになってから。休暇は目前に迫っています。今更海外旅行の手配も困難なので、九州の旅行となりました。

長崎での旅の一つの目的は、昨年世界遺産に登録となった軍艦島に行くことです。冬の長崎の海は荒れるとの事で、なかなか上陸出来ないそうですが、幸い滞在最終日の17日に上陸ツアーの船が出ることになりました。それまで3日間、欠航が続いていたとの事です。そのために我々も、若干旅行の日程の変更を余儀なくされました。結果的に、旅行最終日に上陸できたのは運が良かったという他ありません。

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軍艦島上陸ツアーを行っているのは4社ありますが、今回お世話になったのは「シーマン商会」という会社です。使用する船は最も小さくて心細いのですが、ガイドを務めるお一人に、NPO軍艦島を世界遺産にする会の理事長、坂本道徳さんがおられるのが選択の理由です。

シーマン商会
http://www.gunkanjima-tour.jp/

NHKの軍艦島の特番で坂本さんを拝見してから、一度直接お話を伺ってみたいものだと思っていました。今回は運良く、坂本理事長のガイドの当番でした。

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今回乗り込む漁船のように小さな「さるくⅡ号」の隣には、ドデカい客船が停泊していました。「クァンタム・オブ・ザ・シーズ」という、16万8000トンの巨大客船です。この日の早朝に入港してきました。

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巨大マンションの様に大きな客船に度肝を抜かれます。船客の大半が中国からの観光客で占められているようで、街中には乗船客を思われる方がたくさんおられました。長崎は外国のクルーズ船が年間300隻以上やってくるとの事です。グラバー園で説明を聞いたボランティアガイドさんからは、これらは「爆買船」と呼んでいると聞かされました。今年になって日本国内での爆買の勢いはかなり衰えてはいますが、それでも長崎市内のデパートの地下食料品売り場で、あご出汁ラーメンを買物かごいっぱい買っている光景を目にしました。観光都市長崎としては大事なお客様なのでしょう。

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早めに受付し、二組目に乗り込んだので、暖かい船室の窓際に席を取ることが出来ました。3日振りの出航なので、約80人の定員いっぱいとなってしまいました。ギリギリにやってきた方は寒いデッキの席となります。一応ビニールで囲まれていますけれど、デッキ席に暖房はありません。

私は自動車や鉄道、飛行機などで乗り物酔いしたことはないのですが、船だけは弱い。何度も船酔いして苦しんでいます。今回は小型船で波が高い中を航行するために、朝食を控え目にしてしっかり酔い止め薬を飲んできています。妻は全く船酔いしない体質なので、揺れる船室でも平気でパンフレットを読んで楽しんでいます。羨ましい。

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長崎港を出港すると、すぐに海自のイージス艦「こんごう」のすぐ隣を抜けます。長崎港にメンテナンスに入っているとの事。海自では大型の護衛艦ですが、先ほど巨大客船を見てきたばかりなので、意外と小さい船に見えます。

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すぐ側に、同じくイージス艦の「あしがら」。そして新造の護衛艦の「あさひ」。今年になって海自の護衛艦がメンテナンスに入る事が多くなったそうです。来年、何か起こるのかと取り越し苦労をしてしまいます。

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途中の島々の解説を受けながら、約45分掛けて軍艦島が見えてきました。それまではさほど波が高くなかったのですが、軍艦島が見えてきてからは船が大きく揺れてきます。私は酔い止め薬を飲んでいたから問題なかったのですが、何人かの方が苦しんでいたようです。

軍艦島を目にして思うのは、絶海の孤島なのに「小さい」ことです。全長僅か480m、幅160m。ここに最盛期には5000人が暮らしていたとは想像が出来ません。

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コンクリート造りの建造物が風雨に晒されるまま、所々崩れていることが判ります。白くてきれいな灯台は、後年になって作られたものです。島に人が住んでいた時代には、灯りで包まれていて灯台を建てる必要が無かったとのこと。

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護岸はまだしっかりしているものの、鉄筋コンクリートのビルは崩れかけています。
人が住まないと、建物はみるみる傷んでいくことが判ります。

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島に近いこの地点、かなりの波とうねりで揺れます。先に入港していた船が出ていく時に相当に波を被っているのを見て、その激しさが理解できました。

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島内には神社の祠も見えます。かつては木造の神社だったそうですが、風雨と波で倒壊してしまったそうです。

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激しい波に揺られながら、桟橋に泊まります。これから上陸開始となりますが、現時点では自由行動は許されていません。ガイドに付いて、順路を歩いて説明を聞いていくことになります。

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昨年、軍艦島がユネスコ世界産業遺産に登録されましたが、島の全てが世界遺産になったわけではありません。島の端にある石炭採掘の設備の一部、そして明治時代に築かれた護岸に一部だけが世界遺産との事です。私は初めて知りました。

赤煉瓦の建物は、採掘設備の一部にて世界遺産です。

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この煉瓦の護岸も世界遺産です。
それ以外のコンクリート製の建物は保護対象になっていません。風雨と波に晒されて、これからも倒壊が進んでいくのと止められないとの事です。

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ガイドをされている、NPO軍艦島を世界遺産にする会の理事長、坂本道徳さんです。炭鉱で働く父親について、高校3年生までこの軍艦島で暮らしておられました。

我々は世界遺産に登録された遺産を見物に来ているのですが、坂本理事長にとってはかけがえのないふるさとであり、この地を去らざるを得なくなってから、崩れるままの姿見ることは辛いことだったでしょう。

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石炭採掘のために利用され、開発された島。鉄筋コンクリート製のアパートが立ち並び、多くの家でテレビ、洗濯機等の近代的な家電品があったとの事。家賃、光熱費は三菱負担。昭和40年代で鉱夫は月に20万円以上を稼いでいたそうで、確かに未来都市に暮らす人々と言えたのでしょう。住宅事情は決して良かったわけではなく、二間に台所の狭い部屋に家族4人住まい、共同トイレ、共同風呂、9階建てでもエレベーターはありません。

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国のエネルギー転換政策の為に昭和49年に閉山となり、全住民が強制的に移住させられて無人島になりました。崩れるままの故郷を眺める心や如何に。昭和中期の未来都市であった軍艦島。これがそのまま日本の未来の姿とならないことを願うと言われる坂本さんの言葉に心を打たれました。

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世界遺産となったほんの一部の施設では調査と保護が行われています。調査員が作業を行っていました。しかしその他の建物はほったらかしです。

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台風がやってくると、島全体が波に覆われてしまうこともあるそうです。コンクリート製の丈夫な建物は、まさにボロボロです。

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建物は傾き、天井は崩れ、壁面にはヒビは入っています。次にこの島を訪れるときには姿が変わっているかもしれません。

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漸く昨年、不十分ながら世界遺産に登録となりましたが、坂本理事長の戦いはまだまだ続くようです。熱い想いの解説の後には参加客から都度、拍手が起きました。

上陸時間は約40分。自由行動は出来ず僅かな時間でしたが、坂本理事長と少しだけ直接お話をすることが出来、一緒に記念写真を撮らせて頂きました。島全体を世界遺産にするべく、これからも精力的に活動をされていかれます。応援したいと思います。

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帰途に就く船内にて、軍艦島上陸記念証明書と石炭のかけらをもらいました。

興味本位で参加したツアーでしたが、国の方針に振り回されて、ふるさとを失い、生活を一変させられた人の気持ちに触れることが出来ました。一時期は産業廃棄物の処理場にされるかもしれなかったこの島が、日本の産業を支える遺産として残されるようになる第一歩を踏み出したわけです。これからもずっと注視していきたく思います。

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